新聞は神ならず
報道記者さんたちは、正確で公平な記事を書くことに腐心している。普段彼らと接する小泉には、それがよくわかる。わかるのだが、彼らとて万能の身ではない。森羅万象を総べる神でなければ間違いや勘違い、そう呼ぶのが酷であれば、ビミョーに芯を外した表現というのはありうる。12月定例会の報道で、そのような事例に接した。
質疑はなかった!?
今月19日、信濃毎日新聞が一面で報じている。小泉が「あれれ?」と思ったのは、その中の次の一節。
本会議で質疑や討論はなく、議長を除く38人による採決で、共産党市議団の7人を除く31人が賛成した。
本会議で質疑や討論はなく、議長を除く38人による採決で、共産党市議団の7人を除く31人が賛成した。
(下線は小泉)
いやいや、小泉は条例改正案に対し本会議で議案質疑しているのだが? その証拠にこの動画。
議案第111号(4分13秒)等に議案質疑する小泉一真 |
議案への質疑とは?
本会議で議案に質問・質疑できる場面について、長野市議会の主な場合を小泉なりに整理すると、次のとおり。
...というわけで、議員としての感覚で言うと、条例改正案についての質疑といえば「議案質疑」であるのがお分かりいただけるだろうか。
信濃毎日新聞が「質疑がなかった」と言っているのは、「委員長報告に質疑」のことなのだろう。ところが、委員長-路上喫煙禁止条例案の場合は福祉環境委員会委員長-が答えられるのは、その議会の委員会の審議状況、つまり市役所や委員がどのような発言をしたかとか、採決の状況等に限定される。議案についての疑義を質す場面ではないのだ。「間接的に質疑」とは、そのことを指し示す小泉の表現。例えば、委員会が審議時間を殆ど取らずに強行的に採決したような場合に、議案質疑でそのような事情を本会議で明らかにし、採決の参考に供するというような運用を予想しているのだろう。だから委員長報告への質疑の関心は議案そのものというより、委員会の運営状況と言える。
どうしてこうなった?
信濃毎日新聞は虚報を流したわけではない。議会最終日の本会議においては、確かに路上喫煙禁止条例案への質疑は全くなかった。そもそも、議事進行上そのような質疑は許されていないのだから当然だ。議案質疑は、既に今月11日に終わっているのだから。平成29年12月定例会日程
http://www.city.nagano.nagano.jp/site/gikai/162822.html
委員長報告への質疑がなかったと言いたかったのだとしても、「質疑」と略されては本会議において条例案に関するより本質的な議論である議案質疑を議会が怠ったという印象を読者に与えかねない。議会は怠けていると世論をミスリードしかねない。しかしそれは事実に反する。
その原因は、信濃毎日新聞が上表に掲げたような市議会本会議における質問・質疑の機会の性格を、正しく理解していなかったからのように思える。本会議の取材といえば、一般質問と採決の場面に偏りがちだ。それらに劣らず重要な議案質疑についても、メディアは関心を持っていただきたい。
議会の責任
議員にも信毎のミスリードを許す原因が全くなかったとは言えない。というのは、本会議における重要なチェックの場面である議案質疑を活用する議員が、殆どいないのだ。毎度毎度、一人で議案質疑に勤しむ自分を、スタンドプレーヤーと評する議員がいるのを、小泉は知っている。そうしておけば、議案質疑に熱心な議員が悪で不熱心な議員が善という、本末転倒の評価を正当化できるからだ。
関連記事
関連記事
だが、その結果、メディアや市民にどのような印象を植え付けているのか。信濃毎日新聞は、今回、議会は怠けているかのように世論をミスリードしたのではないかと、小泉は指摘した。しかしそれは議事進行上の議論においてのことだ。路上喫煙防止条例案への本会議議案質疑はなされていたとはいえ、それは小泉によるものだけ。議会の総体的な勤怠に市民が下す評価は、また別のものでありうるだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿