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長野市長選挙に向けた決意

2025年9月3日、長野県庁にて小泉は報道に参集いただき、決意を述べました。以下はその要旨を基本に、手直しをいれたものです。市民各位におかれては、小泉の決意にご賛同をたまわりたく、お願いいたします。


 本日、私は次期長野市長選挙への出馬を決意いたしました。私が目指すのは、ただ一つです。「愛と参加」の市政を、長野市民の手に取り戻すことです。

「愛と参加」を「持ち込む」のではなく、「取り戻す」と表現するのには、理由があります。元々、私たちの長野市は「愛と参加」が溢れるまちです。1998年長野オリンピックは「愛と参加」のテーマの下に開催されたことを、市民の多くは覚えています。組織委員会のもと、市役所が、企業が、そして市民一人一人が参加して一大事業を成し遂げ、博愛の精神を世界に現し、IOC会長から「史上最高の冬季オリンピック」という最大の賛辞を得た栄光の記憶です。私自身、当時組織委員会に身を置き、凍える寒さの中で笑顔を絶やさなかったボランティアの皆さんと共に、あの成功に関われたことは、生涯の誇りです。

それなのに、オリンピックが重んじている「愛」と「参加」を、当の長野市役所が軽視するようになってはいないでしょうか。市役所に市民の声が届かない、声を聞こうとしないと感じる市民が増えています。オリンピックのホストシティと、オリンピアンの市長の組み合わせが、市民の「参加」を軽視するという深刻な矛盾が生じているのです。これは一体、どういうことなのでしょうか。こんなはずではなかった。ホストシティの誇り高き市民たちは戸惑い、これを看過できない事態だと感じています。

「愛と参加」は、単なるオリンピックのノスタルジィとして忘れられて良い理念ではありません。少子化や気候温暖化など、困難な諸課題に対応する今日こそ、未来を拓くために相互の信頼と市民の参加が、市民の知恵が、絶対に必要なのです。 

この想いを、私はある出来事によって、決意へと変えました。 それが、青木島遊園地の廃止問題です。 「こどもの声がうるさい」との一つの苦情への対応に市役所は誤りを重ね、最終的にこどもたちに皺寄せする形で遊園地を廃止してしまいました。市議として何とか廃止をくい止めたいと奔走する中、私は忘れられない光景に出会います。

遊園地に隣接する児童センターを訪れたとき、二人の女の子が駆け寄って来て、こう尋ねました。

「誰が公園をなくすって決めたの?」

汚れのない、まっすぐな瞳でした。先生に聞いても、親に聞いても、誰も教えてくれない。だから、初めて会う私に、必死の勇気で尋ねてくれたのです。 それなのに私は、言葉に詰まりました。こどもたちに、大人の世界の理不尽を、どう説明すればいいのか。 「ごめんね公園が無くならないように、おっちゃんが、頑張るから。」 そう答えるのが、精一杯でした。

この子たちは今でもなぜ大好きな公園が廃止されたのか、知らないままです。今でも、責任ある誰かの説明を待っているのです。自分たちの遊び方が悪かったのだと、心を痛めている子もいるかもしれません。現職市長は、こども達に説明する責任を、果たしていない。こどもたちの声を聴かない。こどもたちの参加を拒んでいる。

こどもたちへの責任から逃げる。それが、長野市民の求めたオリンピックの英雄の姿なのでしょうか。いいえ、断じて違います。 市民が誇りに思ったあの栄光は、決してそのようなものではなかったはずです。

公園廃止問題は、もはや長野市だけの問題ではありません。全国的な関心を呼び、日本中のお父さんが、お母さんが、その解決を待っているのです。 ベビーカーのバスへの持ち込みや、落ち着いた雰囲気の店などでは、常に小さな子のパパ・ママは緊張しています。とがめる視線が自分たちに向けられたら察知し、予め頭を下げなければならないからです。「世間に心無い人がいるのは我慢しなければならないが、行政までがこどもがうるさいという苦情に加担して遊園地を取り上げるなら、自分たちはどこでこどもを遊ばせればよいのですか。次は、自分の街かもしれない」そんな声なき悲鳴が日本中を覆い、未だに払拭されていません。

 だから私は、何としてでも当選しなければならない。市長として、青木島の子どもたちに、直接会って謝りたい。「君たちのせいじゃないんだよ」と伝えたい。そして、彼らの話を直接聞きながら、本当の解決策を探したいのです。

この長野市から、日本中の子育てに奮闘する皆さんに、『行政は、あなた方の味方なのです』という希望の狼煙(のろし)を上げたい。

日本中の子育て世帯に、公園廃止問題は、こどもたちと解決しました、日本はあなた方と共にありますと、安心していただく希望のメッセージを発信できるのは、長野市だけなのです。それが私たちのまちに課された使命ではありませんか。

この問題によって引き裂かれた地域の絆を、時間をかけて癒していくことも、行政の大きな責任です。心からそう思っています。 

 この公園廃止の問題は、決してそれだけの問題ではありません。今の長野市政において、市民の声、特にこどもの様な弱い人たちの小さな声が届きにくい構造の象徴だと、私は考えています。長野市政に「愛と参加」を取り戻さねばならないと、今程感じるときはありません。市議として4期、市政を内側から見てきた者として、それを痛感しています。 市営体育館の有償化や青木島保育園移転、松代駅舎解体、長野駅善光寺口の再開発ビル建設構想などは、市民への敬愛と市民参加に欠けた結果、暗礁に乗り上げ、行先が不透明となり、小泉の元にもこれらの動向を心配する市民の声が寄せられています。これらの問題は、「愛と参加」があってこそ解決されるものと確信します。

公共交通の維持、少子高齢化、中山間地のコミュニティの維持、気候温暖化、隣接市町村への大型店出店、物価高騰に疲弊する市民生活等々、長野市が取り組むべき課題は山積みとされたままになっています。

私たち長野市民は、オリンピックを成し遂げた市民です。力を合わせれば、できないことは何もない。どうか、「愛と参加」で長野市を再び輝かせるという私、小泉一真の決意に、皆様が加わっていただくことを望みます。 

長野市の未来のため、「愛と参加」を取り戻す。その為の政策については、機会を改めて、説明する場を設けさせていただく所存です。

本日は、私の決意表明をお聞きいただき、誠にありがとうございました。


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